自分のこと

私は自信がない。

 

周りからはいろいろと好評価をいただくことの方が多い。

 

頼りがいがある、

気がきく、

心が広い、

仕事が早い、

対応が丁寧、

よく頑張っている、

そんな感じ。

 

妬まれることや、煩わしく思われることもある。

 

周りに媚びている、

口うるさい、

細かい、

めんどくさい、

高圧的、

何考えてるかわからない、

そんな感じ。

 

私は私で自分がわからない。

だったら尚更人だって私のことわからないんじゃないの?

 

何考えてるかわかんないって、

なんでそんなにわかりたいの?

 

私は自信がない。

 

突然ぽっかりできた休みに、

突然お誘いできる友人もいない。

 

いや、ちがった。

お誘いしたい友人がいない。

 

私が心地よく過ごせる空間は、

今どこにも存在していない。

誰かに会いたいけど、

誰にも会いたくない。

1人でいたくないけど、

1人になりたい。

 

だけど私は自信がなくて、

今日も1人、

4畳の部屋から出ようとはしない。

 

 

おわり。

 

やまもと

夜の酒場のハナシ

 

 

同期との弾丸大阪旅行(滞在24時間)を終えて東京駅で解散し、楽しい余韻とともに締めの酒を飲もうと、1人で地元のバーへ行きました。

 

大好きな店主特製ハイボールを飲んでゆったりしていると、仲良くしてもらっている大学教授がドアを開け、にこやかに入ってきました。

 

となりに座るなり「あのね、ぼく、禁煙したんです。マスターと一緒に男の契りを交わしたんですよ」

 

「あんなに好きだった煙草、いきなり絶ったんですか?!」

 

「ほら、証拠写真もあるよ」

 

教授が見せてくれたのは、ジップロックに入れて水没させた2箱の煙草の写真。水はドロドロに濁っていて、なんともグロテスクな光景。

 

「これを見て、タバコなんてだめだ!と思うようにしてるんです。そしてニコレットのガム。吸いたくなったらこれを噛む。これがまた、辛いんです!」

 

教授は新しく買ったニコレットの袋を開きながら話を続けます。

 

「でもね、聞いて。マスターは全然辛くないんだって!僕はそれが憎たらしい。こんちくしょう、って思うわけです」

 

ああ、副流煙が吸いたい!という教授を尻目に、

マスターはすました顔。全然吸いたくならないですよ、なんて。

 

マスターは静かに語ります。

 

「あのね、先生は煙草に振られたんですよ。僕は煙草を振ったんです。お前なんか大嫌いだっ!て。先生はまだ未練があるから吸いたくなるんですよ。大好きなままで、いなくなった。つまり考え方の問題です」

 

教授は腑に落ちた顔をし、語ります。

「僕は今までの人生で、相手を振ったことないんです。お相手の女性のこと、嫌いにならないんです。 今回はタバコちゃんに振られたんですね。まるで人生の縮図ですね。そういうことか。。」

 

先生はうなずき、私も不思議と納得しました。

 

対象やテーマが違うだけで、物事の捉え方や考え方にはその人なりの一貫性があるのかもしれません。人や物への対応は全て、その人の考え方を表してくれるみたいです。

 

些細な動きや言葉に、人の良さや賢さがにじみでるその過程はとても可愛くておもしろいなと思います。

 

「酔っぱらっちゃって、おじさんのヘルスケアの話なんてしてごめんね。」

 

先生はそう言ってハイボールを飲み干し、頼みそこねたコーヒー焼酎を頼みました。

 

謝らないでください。

ほんとうに人間らしい瞬間を見られる夜の酒場は、まさに人生の縮図かもしれません。

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常識は、常に意識するもの

 

営業の仕事をして1年になりますが、一緒に仕事をしたクライアント、関係者は早100人近くとなりました。

 

仕事内容は主に新卒採用に関する提案と契約ですが、その先の制作、納品、伴走もしています。

 

様々な要望を吸い取る中で、

最も危険なのは、

「常識」を勝手に位置づけることだと思います。

 

100人いれば100通りの常識がそこにあります。

自分の主観はあくまで自分都合です。

 

例えば相手がAをBにしてほしいと言ったとしても

それはそうとは限りません。

 

本当は「AをCに近いBにしてほしい」かもしれないし、そもそも相手がAだと思っていることはわたしにとってはBかもしれませんよね。

 

表面上の言葉をさらいとって、まるで相手のアキレス腱を見つけたかのように解釈することは、生産性がなくとても不器用なことです。

 

例えばあるクライアントは、1ヶ月に1度のアポイントを少ないと感じる。別のクライアントは、3ヶ月に1度のアポイントで十分だと感じる。

 

それは本当でしょうか。

 

もしかしたら本当はそうでもなくて、あるクライアントはアポイントの頻度を含めた仕事より、我が子の教育の方に重きを置いているかもしれません。だから頻繁に来て欲しくないのかも。別のクライアントは、わたしを娘に重ね合わせているかもしれません。だから会いたがるのかもしれません。

 

人の心なんて死んでも分からないんですから。

 

常識とは、人が各自、「常に意識する」ことです。

主語に入るのは、誰でもいい。その一方で、誰でもない。

 

みんな自分が一番正しいのです。

 

そんな常識を基準に捉えても、受け取った通りとは限らない、思い込みかもしれない。

 

そうじゃないと例えば小説だって成立しません。

小説のストーリーや言葉はいわば、水であり、読者の数は受け取る器の数といえます。器には大小広狭様々な形があるように、受け手にも様々な感性があるからこそ同じ小説でも幅広い解釈が生まれます。

そうでなければ全ての小説は教科書です。

 

 

 

起こってしまっていることはただの事実で、どんなことでも言い方次第で全て正しくなっていきます。物事には犯罪やいじめのように、間違っていることはあっても、絶対に正しいということはありません。人の数だけ正しいことがあるから当然です。

 

あなたにとって正しいことは誰かにとって正しくなくても。。物事はいいか悪いかではありません。

 

昔の人は感性が豊かで、茶色だけでも何十種類、ねずみ色でも何十種類と日常的に分けていたそうです。

 

なんだってグレーゾーンでいいと思います。それが正しいと思うなら、起こった物事に対して、思い込まずに動けばきっと、「常識」に深みが出る、そしてもっとしなやかに生きていけると思います。