抜毛と入院の思い出

 

 

持病が再発しました。マリアンヌです。

 

 

髪の毛を抜いてしまう抜毛症です。

 

 

家でゆっくりしてる時とか気づけば床に自分で抜いた髪の毛がたくさん落ちてる病気です。

気持ち悪いなあと思いながらコロコロでとって捨ててます。

でも普段は普通に笑顔で、仕事し、ごはんを食べ、お酒も飲みます。

 

重症の時ほど目立ちはしていませんが、このままではきっとそのうち隠さなければならなくなることもなんとなく分かってて、そうならないような危ういラインで保ってます。

 

ただ口にできるようなストレスは感じていないのが不思議なところで、ふとした時にいやだなぁと思う程度。

 

今のままではいい結果にならないのは目に見えてるのに、ついつい毎日酒と髪の毛に逃げてしまう。

変われるのは自分しかいないのに情けないなぁと思うけど何も変えない、変わらない。

 

職場を新しく変えたストレスはあるはず。でも、あまりにもストレス耐性がないことは周りと比べて感じてます。

 

こんなスパイラル、抜け出したい限りです。

 

そんな今、思い出した昔の話をします。

 

もし最近何か大きな損失があって、立ち直ることすら困難な状況にある方がいれば、1人じゃないんだって思って頂きたいです。

 

 

 

 

抜毛症は、11歳の時に初めて発症しました。

 

11歳の時は、激動の日々でした。

 

クラスの女子からのいじめ。中学受験。への親の期待。それにこたえられないストレス。家での閉塞感。成績順に毎週席が変えられる塾の格差社会。ピアノ教室の重荷など。

 

塾に行く前、マンションの10階にある実家の、海の見えるベランダに出て、毎日落ちようとしては勇気が出ずそのまま家を出て、帰ってきては成績の悪さを叱られて左側の白い壁を向き泣きながら眠ってました。

 

不幸自慢ではないけれど。

 

成績1位の子が羨ましくて、朝起きたらあの子と入れ替わってないかなぁってムシのいいことを毎日考えていました。

比較してしまうんですよね。

 

そんな中で髪の毛を抜く癖がつきました。

 

自傷行為の一種ですが、それに気づいた親は私を鏡の前に連れて行き、ハゲた頭をつかんで見させた後、手袋と帽子を持ってきました。

それを着けて生活するよう言われたからです。

 

蒸れる手袋と帽子をつけて受験勉強をし、宿題で出された問題以外の全ての問題を解かされ、できるまで寝られない状態。

 

その結果、私は親を信用できなくなり、どうしても相手の思いに添えない自分自身に全く期待をしなくなりました。ごはんを食べさせてくれる人って、心の底からは憎めないはずなのに。勉強できるって本当は贅沢なのに。。

 

そんな日々が続いていた11歳の誕生日の3日後、事件が起きました。

 

いじめっこに命を軽視され学校で総合遊具から落下、右半身の至る部分を損傷し救急車に運ばれ、気づいたらCTの中に入るところでした。

 

動かない体を大勢の医療関係者に運ばれ、グレーの半円形の筒に入れられる瞬間。

急に恐ろしくなり、死を感じ、恥を忘れて「お母さん!」と泣き叫んでいました。

あんなに嫌いだったのに、心の底では親を求めてたことを自覚しました。

 

視界のすみに、ガラス板の向こうで医者の説明を聞く母親の姿が見えたからかもしれません。

 

また気絶し、次は病院の緊急治療室にいました。

 

興奮が落ち着き、何分か毎に口から血を吐きながら思ったことは、「今日は久しぶりにゆっくり寝られるな」ということ。

 

何かが異常でした。

 

その治療室には少しの間だけしかおらず、2日後には団体の子供部屋に移りました。

 

団体部屋に移された時、怪我についての説明がありました。

 

右腕、右のほっぺたを骨折。肝臓損傷、頭の検査が必要、、外傷は顔にできた大きなかさぶたや所々のすり傷でしたが、それですらショックで、病院で初めてしくしく泣きました。

 

さらにベッドのうえで1週間生活していただけで歩くことができなくなり、検査の時などは車椅子で移動していました。

 

体は使わなかったら使い方を忘れてしまうみたいです。。

 

ただ、病院ではたくさんの出会いや気づきがありました。

 

 

団体部屋の向かいのベッドには3歳歳下の、鼻が機能を果たさなくなった女の子。優しそうなおばあちゃんが毎日お見舞いに来ていました。

 

隣のベッドには3歳歳上の女の子。いかつくて、いつもカーテンを閉めていました。母親らしき人が来ても無言。少しだけ怖い印象でした。

 

 

最初の夜、病院食でおかゆが出てきたんですが

 

私はおかゆが食べられず残していたら、隣のベッドの子のお母さんが「パンに変えられるよ。言ってあげようか?」と声を掛けてくれました。

 

当たり前の自然な優しさを知りました。

 

面会時間が終わると病院は静かになり、暇だと思いながら天井を見つめ寝る毎日。

 

でもある日の昼間、いきなり、隣の歳上の女の子が山積みのマーガレット(雑誌)をがさっと私のベッドサイドに置いてきました。

 

なんだろうと思ってカーテンを開くと、その子のお母さんが「暇そうやからあげるって、もらってあげて」と言ってくれました。

 

その時知ったんですが、その女の子は実は耳が聴こえないため人と話すことができなかったそう。

 

ああそういうことだったんだ、本当は優しかったんだ、実は気にしてくれてたのかもなぁと納得した次の日、その女の子は自宅に戻ってしまいましたが。(いらんくなったからくれただけかも笑

 

 

病室は少し寂しくなり、私は窓際のベッドに移りました。

そして向かいにいた歳下の女の子が元気になってきた私のベッドに遊びにきて、シールをプレゼントしてくれるようになりました。

 

無邪気な姿に癒され、この子は元気でいてほしいなと思ってました。

 

神戸港に夕日が沈むとともに、病院食が運ばれてきて、21時には1日が終わります。

 

そんなある日、やっとクラスの担任がまともに来ました。

 

いじめっこたちからの「ごめんね」の手紙を持って。

 

嘘だらけの手紙に絶望し、、申し訳ないながら黙って捨てました。

 

 

 

親は、私が元気になったタイミングで「こういう時こそ挽回のチャンス」と塾の参考書を持って来ました。

 

少しがっかりしながら流し読みしてました。

 

そんな時、校長先生は、本を持ってきてくれました。小5のための、童話集。

 

当時の私は江國香織ばかり読んでいたので少し毛色は違ったものの、涙が出るほど嬉しく思いました。

 

本の世界に没頭し、母親に頼んで家から小説をたくさん持ってきてもらいました。

枕元に本を置いて寝るようになり、回復してきたらとうとう退院の日が近づいてきました。

 

退院の前に向かいの歳下の女の子に一言いいたいなと思ってたんですが、女の子は私の退院前日ちょうど手術でベッドを外していました。

 

明日でいいや。

 

そう思っていたら、

手術から帰ってきたその子は起き上がることすらできないほど弱っており、鼻の一部もなくなってしまったと聞きました。ベッドサイドでおばあちゃんやお母さん達が手を握り寄り添っていました。

 

怖く、ただただ悲しく、でも無力。ベッドで苦しむその子の横で、車椅子に乗って部屋を後にしました。

 

出会いって一瞬だなぁと子供ながらに切なく思いました。

 

退院した後からは生活が劇的に変わった、

なんてことは全くありませんでした。

 

日々は同じように流れ、6年生に上がったクラスではみんなに優しくしてもらうことが増えたものの、中学受験は当然全滅しました。

 

 

 

合格発表の帰りの車の中で、母親が泣きながら言った「ごめんね」は忘れられません。

 

助手席で、私は外を見ながら無言で泣きました。雨が降っていました。窓から、塾で成績の良かった人気者の女の子が泣きながら帰っている姿が見えました。物事に絶対ってないんですね。

 

公立中学に進んだ私に、もはや失うものは何もありませんでした。良き恩師と出会い、受験でかじった知識をもとに生まれ変わったように勉強が楽しくなり、反骨精神を武器に学年1位をとったり目標大学に合格したりして、抜毛もいつの間にか抑えられるようになりました。

 

あの時の辛い経験がなければ、

人生からあの経験を引き算して考えれば、

今のような人の痛みに共感したり、何かを思い切って切り拓いたり、負けず嫌いだったりする性格は無かったはず。

 

欠点も多いですが。それを生かしたいと思えるくらいにはなれました。

 

どれもこれも、周りの人の優しさのおかげ。

 

閉鎖的な場所では何も得られない

優しさとかあったかさこそが出会いを心に刻む

 

という教訓。

 

話が長くなりましたが、

 

 

今もやはりストレスを感じてるようです。

抜毛してるので。

 

だけどあの時の状況を考えると

乗り越えなければ壁は一生消えないんだと

クサイことを実感しつつ、

また頑張ろうかって思えます。というか思いたい。

 

 

あの時病室の時間を共にしたあの子達は元気かなって、たまに思います。

 

本当に、元気でいてほしい。

 

3年間一緒にいた塾の子達よりも

どん底の時期が数日重なった子達への想いの方が何倍も強いです。

 

思い出話でしたが、未来は全く予測不可能ってことを思い出します。日々なんとなくながらも、悔いなく生きていきたいなって思ってます。人生楽しみましょう。

 

 

 

 

文章を書くのが苦手というあなたへ

どうも。

日本酒は甘口派の山本です。

 

「文章を読むのも書くのも苦手」なんてことよく聞きます。

ちなみにですが、私は文章を書くのも読むのも、得意かどうかは微妙です。

 

ただ単に、めっちゃ好き。

だからこんなとこでも書き連ねてるんだろうけど。

 

でも、1つ言うなら私は、小学生の頃なんかは文章を書くのがあまり得意ではなくて、読書感想文やら作文やらの宿題が出たときは本当に読んで字のごとく、頭を抱えていました。

 

思いついたことをとりあえず書き連ねると、脈絡がない、起承転結も見当たらない長文が出来上がってしまうわけで、優等生を極めようとしていた私は、そんなものには納得がいかず、どうすりゃいいんだとよく考えていました。

 

小学生の頃は、それを避けるために絵日記をチョイスし、読書感想文ではなく、読書感想画を描いていました。

絵だったら、自分の考えたことを伝えたいように表現できたなんていう、割とアーティスティックなことを言いますが、本当にそうでした。

私たち「いぬ」トリオの1人のすえってやつは、絵でなんでも伝えられる(と私は思ってます)すごいやつです。

すえまではいかないけど、言葉が不得意な分、絵で何かを伝えようとしていた節がありました。

 

でも、何かを伝えたい気持ちは幼い時から結構強くて、本好きな母の影響もあり「言葉」というものは好きでした。

 

そんな私が少し変わったのは、小学校4年生のとき。

担任の先生は、私のことを嫌っていたようでしたが、まあ私はあんまり気にしてませんでした。(余談)

その担任の先生は、毎日終わりの会である1枚の紙を配るんです。

 

その名も「3行日記」

 

たった3行の小さい紙に今日の出来事を書き、感想を書き、提出をするというものでした。

厄介なのは、これを提出しないと帰れないこと。なにも思いつかない日はなかなかに苦行でした。笑

 

だけど、この「3行日記」との出会いが私にとっては転機でした。

 

3行日記には、ただ出来事を書くだけじゃなく、それに対してどう思ったかを絶対書かなくちゃいけないというルールがありました。

でもそれ以外にルールはなくて、それさえ守ればOKでした。

 

最初は絞り出して、「いいこと書かないかん〜」とか思って頑張ってたんですが、それがいいかと言えば全然そうじゃなかったんですよね。

担任の先生は私のことを嫌ってましたが、私が書いた文章に罪はなかったのでしょう。私がふと思った日常への感想を取り上げて、学級新聞を書いてくれたことがありました。そのことが嬉しくて、ずっと覚えています。

 

夏休みが明けてのプール授業がとても寒かったもので、夏は暑くてちょうどよかったのに、もう秋だなあと思いました。みたいなことを書いたんですね。

 先生の感想は、身近なものから季節を感じれたのはよかったですね。と。

 

学級新聞には、毎日2人ほど3行日記が取り上げられるのですが、まずそこに選ばれたことが光栄でした。

そして、先生の感想を見て、先生は私の文章をきちんと理解してくれていると感じました。

 

その出来事があってから、私は3行日記を書くのがとても楽しくなりました。

そのうち3行じゃ物足りなくなって、時折、3行日記の紙を3枚ほどホチキス留めで提出したこともありました。

 

1行半で出来事・残りの1行半で感想と書いていたのが、1枚半で出来事・残りの1枚半で感想というように、少しずつ文章が長くかけるようになりました。

担任の先生も、私のことは嫌いだったのでしょうが、私の文章は好いてくれていたみたいで、快くたくさんの紙をくれました。

 

ここまで来るのに半年以上ですが、この間に私は自分の文章が好きになっていきました。

 

この3行日記の習慣は私の中でずっと続いていて、今も日記を書いています。

今となってはB5ノート1ページにびっしり書くようになりました。自分でもちょっとこわい。笑

 

さて、文章を書くのが苦手なあなたへ、なんて言いましたが、文章を書くことに近道はないと思います。

でも、言葉を好きになって欲しいから、やってみてほしいことがあります。

 

それが、3行日記。ちなみに2行でも構いません。今日はなにがあって、それに対してどう思ったかの感想を書くだけ。

 

「今日は、洗濯物干したら、柔軟剤のいい匂いがした。」

 

これで十分なんです。

これを毎日やってみてほしい。

きっともっと長い文章を書いてみたくなる日が来るから。

 

ではでは。山本でした。

夏っぽい足元でおわかれ。

もう秋だなあ〜。

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どうして?

こんにちは、

お酒と言えば専ら日本酒の山本です。

 

実は私、中高とばっちばちのバスケ部員でした。

高校はまあまあ強くて、私たちの代はベスト32くらい。先輩はベスト16ってな感じでした。

 

つい先日ですが、全く母校でもなんでもない高校にお邪魔して、女子バスケ部の試合の相手をさせていただく機会がありました。

 

実に7年ぶりくらいのガチバスケ。

1日練習の午前の部から混ざらせてもらってたのですが、昼食行く寸前ぐらいで両足を攣りました。

なんとか耐えたな…(え

 

 練習の中で、顧問の先生が

「どうやってもなかなか強くならない」

と、おっしゃっていました。

 

「強くならない」というのは、

いくつか理由があると思います。

はじめに挙げられるのは、

【部員がバスケの才能を持ってない】

まずこれです。

 才能のある無しは、絶対に関わってきます。でも、バスケの才能がない選手っていうのは、私としてはほぼいないと思っています。

 

では次。

【そもそも部員にやる気がない】

これはけっこうありがちだと思います。

思春期の中高生は、他に目が向きがちなところもあるので、「バスケ一筋!」という子はなかなかいません。

でもその中でも、好きだから頑張れるという子はけっこう頑張ってくれたりするわけで、これも絶対の理由とは言えないと思います。

 

では他には?

【指導者が適材適所を見抜けていない】

これはとてもよくあります。

実はバスケって、めちゃくちゃチームスポーツに見えるけど、わりかし分業制です。

大きく2つに分けることができまして、コート上に存在する役割が、マネジメントとプレイヤーとなります。

マネジメントに値するのは大抵がPG(ポイントガード)と呼ばれる、ゲーム作りの人ですね。スラムダンクでいうと、りょーちんです。

あと、そのほかのポジションの方々はプレイヤーに振り分けることもできますが、バスケの試合の最中というのは、だれもがマネジメントにもプレイヤーにもなる可能性もあります。

攻防が入れ替わるその都度その都度で、役割が生まれるという不思議なスポーツなんです。

 

その役割の中で、ポジションがあるわけですが、ざっくり残りのポジションをいうと、F(フォワード)とC(センター)です。スラムダンクでは、PF(パワーフォワード)として花道がプレイしていましたが、あれはほぼCです。

大抵1番大きい人がCのゴール下ポジション、中くらいの人がFの斜め45度ポジションにいます。

【身長】という身体的能力で分けると、そうなっちゃいます。

 

ここからが問題で、ポジションを身長で振り分けてしまうと、不具合が起きる可能性があります。

それが、部員の個々の性格や性質を考慮した上での適材適所ができていないことによる、攻撃力の低下です。

マネジメントが得意な子もいれば、そうでない子もいます。

なので、身長が低いからといって安易にPGに置くと、ゲームが破綻したりします。こわい。

 

実はこの不具合、男子にはあんまり起こらなくて、女子にはよく起こります。

 

男子は中高の間に身体能力が大幅に発達し、不具合を補うことができてしまいます。逆に言えば性質と身体能力を掛け合わせたポジションに置ければ、最高のチームになっていくことと思います。

 

女子はというと、小学生の間に身体能力が発達する時期があり、中高の間では大幅な成長は見られません。現状の身体能力で手一杯ということです。

なので、性質からのポジショニングが重要になってきます。

悪いことばかりのようですが、女子はこの時期にメンタルの成長が見られます。性質からのポジショニングと、その上でのメンタルトレーニング、チームとしての前向きな意識づけをし続けることで、士気も上がり、攻撃力につながるという不思議な現象を見ることもできます。

 

と、ここまでだらだら書いてしまいましたが、そんな理由もあります。

 

あと、他に。

【部員が今やっていることの意味を理解できていない】

これ、1番多いと思います。

 

バスケの練習は、数学でいう公式を、大量に与えられているようなものです。

それを部員たちは試合で応用します。

今の局面はこの公式だ!と反射レベルで使えるように繰り返し繰り返し反復するのが、日々の練習です。

 

その日々の練習の中で、どういう意味かよくわからない動きというのは、本当によくあります。笑

 

まずウォームアップで言えば、フットワーク練習での動き。意味がわからずやってると、本当に意味がない動きです。ただのカニさん歩きです。

力を入れなければいけない側の足はどちらか、何を意識しての動きか、何を見て動かなければならないか、これらを教えないとフットワーク練習は、ただただ疲れるだけの動きになってしまうのです。

 

どの練習も、何を意識してやるか、どういう意図でやっているかをわかっていないと、ゲームで応用することはほぼ不可能であるといっても過言ではありません。

 

これを意識すれば変わる!!なんていう劇的なことは言えないのですが、1つ、もしお悩みの指導者様がいらっしゃったら、参考になれば幸いです。

 

指導する上で【どうして?】をお忘れなきよう、どうぞ頭の片隅にでもいいので置いてみてください。

 

全然関係ないけど、鴨川の鴨の写真とともに、さよなら〜。

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山本