描きもの屋です。

こんにちは。

他の2人に対して超超超ーーーーーー、、、遅ればせながらやってきました、すえと言います。

 

わたしは文字書きが得意ではない人間です。

なので文章には何も面白みはございません!笑

代わりに何をしてきたかと言えば、ずっと「描いて」きました。

 

日々のなんともない事を、頭の中の色々を、自分の手から出来る形で表現できたらと思うので、息抜きに楽しんで見てください。

ちなみにゲームとカレーをこよなく愛しています。

またそっちの話もしてみたいです。

 ではでは、よろしくお願いします〜〜。

 

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 すえ。

おみやげを買うときに思い浮かぶ顔

どうも、

コーヒーは専らブラック派の山本です。

 

丸一日オフなんて日ほぼほぼないのですが、たまーーーーにあります。

そんな日は、家で一生ダラけるか、お気に入りのものをまとって、いつもはなかなか行けないところへ足を運びます。

 

そんなこんなで、思い立って大阪へ。

電車に乗って、ゆらゆらゆったりぼーーーっとするのがとても好きです。

自転車も好きだけど、電車はどんどん景色が変わって行くのが楽しいし、本を読めたり、文章を綴ったりする時間が取れるので、そういう点でも電車移動が好きです。

 

そうそう、大阪へ行ったんですが。

 

以前恋人と訪れて、また行きたいな〜と思っていたtawanicoというケーキ屋さんがありまして、そこに行ってきました。

 

ずらーっと並んでいるケーキを見て、どれにしようかな〜と悩んでいるときに、店員さんから

「お持ち帰りもできますよ」

と一声かけられて、

ふと

『あ、よろこぶかも』

なんて思い浮かぶのは、

恋人の顔だったりするわけです。

不思議だな。

もう2ヶ月も顔見てないけど、

ケーキを目の前にして、どこから食べようかなと企み顔をしている恋人が見えるってね。

 

そうしてまんまと

店員さんの言葉と恋人の企み顔に、

すっかりそそのかされて、

チョコレートケーキとレモンケーキを買ってしまったのです。

 

喜んでくれるといいなあ。

 

いつかまた、企み顔を眺めながらコーヒーを飲める日が来ますように。

 

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山本

結局全部思い出ですよね


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夏って二日酔いになりがち。

 

こないだ、お祭りのお囃子に惹かれて歩いてみたら金魚すくいがやってたので、いい大人2人でチャレンジしてみました。

 

なかなかすくえない私に対して彼は次々すくう。ポイの上で金魚が暴れても、お椀に誘い込んでは笑顔。私は早々に破れ、でもスマホで写真をとって笑顔。

 

なかなかに曇った暑い夏のデート。その後涼みに入ったビルで金魚すくいのコツを楽しく話しながらエスカレーターを上っているとグルメ階に。

 

すると目の前には都内に何店舗かある少し高級なお店が。

それを見てはっとしました。そこ、彼が前忘れられなかった人と行った店だったから。

 

付き合う前にそれをSNSで見てしまい知っていたから、私は何も言えず言わず。

 

彼は、この店ってこのビルにも入ってるんだねと一言だけ。私がそれをどんな思いで聞き流してるかを永遠に知らない彼が、かわいかった。

 

20年30年40年

その位生きれば、様々な思い出があるのは当然。彼がそんな一部を思い出してどう処理したかは知りません。

 

懐かしんだかもしれない。また会いたくなったかもしれない。憎くなったかもしれない。一瞬私といることを忘れたかもしれない。

 

それでも、同様に忘れられなかった人にもらった腕時計を未だにつけてる私だって何も言えない。物に罪はないって便利な言い訳。会えない人を想う気持ちが分かると切ない。

 

生きていく上で思い出を積み重ねていくのは、その時幸せでもいつか辛くなるもの。けどその時感じた思いは心の底から出た本人だけの本物の感情で、第三者が踏み込めるものじゃない、

 

私にも忘れられない人はいたけど、もうその時に戻りたいとは思わない。誰にも共有したくない、その時の相手にすら分かってほしくない、自分だけの気持ち。持ってた気分。気持ち。

©自分。

 

海を見に行ったとして、その海を見るお互いにお互いの海がある。

一方は初めて見る海に新鮮な喜びを感じていたとしても、もう一方はかつて来た海にもう一度別の人と来られた、時の流れの方に喜びを感じてるかもしれない。

 

それは自分以外の誰にもわからない気持ちで、邪魔できないもの。

 

だから相手に自分の感情を押し付けるのは、つまらないことだ。

 

私は海に関して喜んでいた前者ですが、すごく幸せな思い出を持った海でも、戻りたいとは思わない。海も店もその時その一瞬だけ私のものだった。その事実で十分。

 

隣に誰がいようと関係なく、感じた気持ちや抱いた感情は「©私」であり誰にも渡さないって思ってしまう。共有できるものではないから、描写したいとは思っても戻りたいとは思わない。しかもこれからも「今回」を超えるほどの思い出を作り出したい。その時隣に誰がいても構わない。

 

それはきっと相手もいつかそうだったかもしれないし、そうなるかもしれない。

だから誰と来た海なんだろう?とか、この店で昔何を話したんだろう?とか、あくまで私主観の気持ちなんて所詮、本人のほんものの気持ちには及ばない。

 

お互いがそうであるように、人間生きていればしわと共に思い出や記憶も刻まれているものです。

 

そんな証である今を愛せるのであればそれは幸せで、成長でもあるのかもしれない。

 

だから私は彼とどんな綺麗なものを見ても、辛い思いをしても、相手のこころに入りこめるとは思わない。ちょっとならお邪魔して支えにはなれるかもしれないけど。

あくまで全ては自分目線の、自分のための思い出としてストックするだけ。

 

いつか人生の節目、結婚や出産や死、その瞬間に振り返って、ああ幸せだったと言えれば幸せです。

 

だけど相手が目の前の私を忘れて思い出に浸っていたら少し切なくて、その瞬間だけ現実の女として風景に入り込むことで浸る邪魔をするのも、切ない思い出として私の一部になり、満足してしまうんですよね。