転職で感じる「習うより慣れろ」
初めまして。
イラストのペンのしっぽにいるやつです。
思い立ったが吉日で
日々のことを書いていきます。
今まで転職というものを2度経験しました。
去年の春先から新聞社にいます。
転職の度にふと頭に浮かぶ言葉は、
習うより慣れろ。
「砂の女」じゃないですが、どんな状況においても日々繰り返しこなせば、人は環境に慣れます。
ただ引き換えに感じるストレスがどれ程なのか。それが、同じ環境を続けられるかどうかの境目な気がします。
人間関係もそうです。初めは右も左も分からず、誰を信じればよいのかも未知。でもそのうちバランス感覚がつかめてくる。
そして、この人は不思議とシンパシーを感じる。そうでなくてももっと話してみたい。面白いぞ、合うぞ、というのが出てくる。
この人は要注意だ、だめだ、という人がいるのも当然。そんなときはただ離れて見守られるに限ります。
私のいた新聞社は、9割が女性です。
デニムの人もいればスーツの人もいる。
ストイックな人もいればお茶目な人もいる。
働き者もいればサボリ魔もいる。
共通しているのは
みんな言葉への執着が凄まじい所です。
関西から東京に出てきた私は、会社とは個々の集合体とはよく言ったものだと感動しました。
仕事は、見出しを作り紙面を設計するというもの。
言葉探しに手を抜く人はほぼいません。
紙面には個性が表れます。
優しい人の見出しはなんとなく温かみがあり、厳しい人の紙面には無駄がありません。
例えば、
上司「てにおはなんて要らねえよ」
助詞をいかに削ろうか。
上司「曖昧で伝わらないね」
10文字前後の言葉に靄がかかってる。
上司「長ったらしい見出しだわ」
読むではなく、見て分かる文字列にしたい。
先輩「洒落てないね」
同じ意味でも、読み手のイメージをもっと高める単語熟語ないかな。
考え果て首をひねって絞り出した紙面が最低ラインをこえたら
「まあいいんじゃない。あとは好みだよ」
という言葉がデスクや先輩からかけられます。
いちばん大切なのは感覚。
頭で分かっても感覚だけは磨くしかない。
読者、筆者、作り手、どの立場になって考えるのかでも、沸き上がる感覚は異なります。
その感覚を磨きあらゆる立場の人を笑顔に出来るということが上達だと思いました。
上達したくて、代表3紙を毎日隅から隅まで読みました。
初めは明朝体の敷き詰められた新聞が知らない土地の大きな地図のように感じられました。でも作られ方が分かってくると他人事とは思えなくなってくるのが不思議。
上手い言い方してるなー、この見出し考え付いた人は50代男性ちゃうか?とか
この設計はベテランしかできひんぞ!絶対プロや。とか
13字は長いやろ。。新人さんかな。とか
設計に困って先輩に聞くと、解決策は教えてくれる訳ですが、、教わる先輩によって全く異なる紙面が出来上がるので何人かに質問する。
そしていくつかの選択肢のなかでどれを選ぶかは「好みの問題」。
紙面作りに答えはなく、納得いくかどうかなんです。
感覚を役立てるには経験則という勘を身に付けたい所。
センスを磨くとは、、。なんて気の長い職人稼業なんだ!と思いましたが、たった1年続けただけでも景色が全く違います。
ルールはあっても、マニュアルはないんです。
毎日同じニュースが入ることはまずあり得ません。だから臨機応変な対応が必要。
これは社会に出たらどこでもそうなんでしょう。私は学生時代から新聞社経験があるので、この感覚が知らないうちに染み込んでいました。でも他の会社にいたとき、この感覚はなかった。
きっと同じ場に身を置き向き合い続ければ臨機応変に自分の技を使いこなせる勘と技術を持ち合わせることが出来ると思います。
実は夏から全く異なる業種にまた転職します。
流れ流されの仕事人生で、1年前とは職場も住処も変わっています。
芯がない、ふらふらしてる、と言われることも多いです。でももっと多くのことが知りたいと思うとすぐに動けるのは今だけの特権かと思い、恐る恐るやっていこうとしています。
目の前に現れるたくさんの選択肢の中から、納得できる方法を、自分の感覚で決めていきます。
この先もきっと、習うより慣れろ。
与えられた環境のなかで役立つ経験則を、自分で見つけて行きたいと思います。
こないだ帰ったときの鴨川。
京都に縁ある3人です。