人生美味しく

 

1年前、東京に越してきた幼なじみの家に1週間住んでいました。

 

東京に来て同棲していた彼氏から逃げ出したので、帰る家がなかったんです。

 

家に来ていいよって言ってくれたのは古い仲の女の子。地元では同じマンションの違う階に住み、お習字やら塾にも一緒に行ってました。

 

デザインの専門に通ってる彼女の家は、山が見える、川の横のアパート。夜は静かで暗く、帰り道には星が点点と見えました。

 

私の知っている「都会」じゃなく、のどかで静かな駅でした。そんな住みやすい場所が都内にあることにびっくりしました。

 

彼女はどこにいっても自分らしさを保つことが上手なんです。物事の雰囲気に流されない。

 

例えば爪を切ってもその爪の切られ方に彼女らしさが現れる感じ。

 

安い服屋で部屋着買っても、着の身着のままでも綺麗。

 

渋谷でご飯食べることになっても、郷土料理を流行りとして出すお洒落なお店にたどりつく。

 

だからなんとなく羨ましく思ったこともありました。

 

けどこの間、(最近引っ越した)私の新居に来た人に

 

「どの家でもやっぱりあだっちゃんの部屋って雰囲気になるね」

と言われ驚きました。

 

他人からの視点でしか気づけないこともあるみたい。

 

ハタチを超えれば無意識の内に自分の好みは完成していて、それをどう成長させるかは出会いと環境に左右されると思います。それは結果として暮らしや顔つきに現れる。

 

そういえば

 

最近の旅行ブームで、

今年は何ヵ国を訪れました!

とか、

有名な景色を写真におさめることができました!

とか

 

遠くの知らなかった出来事を、すごく身近に、手軽に受けとることができすぎて。

 

自分が旅行するとなると、感じ方が多少不自由になります。

 

星3.5の店!っていうのも、評判が評判を呼びます。

予約がとりづらくなって、混んでるかな、、?って行くのを諦めてしまうことがある。そんなのは勿体無い。

 

こんななんとなくの勿体無い感は、自分と人の価値観を重ね合わせて見てたのが原因です。それではあまりにも意味がない。


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六本木のホテルの寿司よりも公園で食べるカツサンドのほうが美味しいかもしれない。

 

人にしろ料理にしろ、みんなが最高!といっても本当かどうかはわかりません。

 

美人は美人じゃないかもしれない。

説教は優しさかもしれない。

けがは功名かもしれない。

 

幼なじみはその感覚が研ぎ澄まされている。

 

実際彼女の家の近所には「汚い店だけどネギが乗りまくってて美味しいラーメン屋」があると聞きました。

 

きっと気づかない間に誰しも色々と感じてるみたいです。みんながこういうから良い、で選んでしまうと隠れた名店にも気づけない。

 

絵が好きな彼女が、美術館で集めてきた山盛りのポストカードから、どれでもあげるから選んで。と言われ迷ってたら

 

「美術館の名前とか関係なく、これがいいと思ったらそれが好みだから」

 

と一言。さすがだなと思います。

 

そこにあるものはただそこにあるもので、受け取る側の器や感受性により得る価値が高くも低くもなるようです。

 

人も自然もニュースも日常も、ありのまま受け止める素直さを忘れたくないと思わせる、辛くも幸せな期間でした。