常識は、常に意識するもの

 

営業の仕事をして1年になりますが、一緒に仕事をしたクライアント、関係者は早100人近くとなりました。

 

仕事内容は主に新卒採用に関する提案と契約ですが、その先の制作、納品、伴走もしています。

 

様々な要望を吸い取る中で、

最も危険なのは、

「常識」を勝手に位置づけることだと思います。

 

100人いれば100通りの常識がそこにあります。

自分の主観はあくまで自分都合です。

 

例えば相手がAをBにしてほしいと言ったとしても

それはそうとは限りません。

 

本当は「AをCに近いBにしてほしい」かもしれないし、そもそも相手がAだと思っていることはわたしにとってはBかもしれませんよね。

 

表面上の言葉をさらいとって、まるで相手のアキレス腱を見つけたかのように解釈することは、生産性がなくとても不器用なことです。

 

例えばあるクライアントは、1ヶ月に1度のアポイントを少ないと感じる。別のクライアントは、3ヶ月に1度のアポイントで十分だと感じる。

 

それは本当でしょうか。

 

もしかしたら本当はそうでもなくて、あるクライアントはアポイントの頻度を含めた仕事より、我が子の教育の方に重きを置いているかもしれません。だから頻繁に来て欲しくないのかも。別のクライアントは、わたしを娘に重ね合わせているかもしれません。だから会いたがるのかもしれません。

 

人の心なんて死んでも分からないんですから。

 

常識とは、人が各自、「常に意識する」ことです。

主語に入るのは、誰でもいい。その一方で、誰でもない。

 

みんな自分が一番正しいのです。

 

そんな常識を基準に捉えても、受け取った通りとは限らない、思い込みかもしれない。

 

そうじゃないと例えば小説だって成立しません。

小説のストーリーや言葉はいわば、水であり、読者の数は受け取る器の数といえます。器には大小広狭様々な形があるように、受け手にも様々な感性があるからこそ同じ小説でも幅広い解釈が生まれます。

そうでなければ全ての小説は教科書です。

 

 

 

起こってしまっていることはただの事実で、どんなことでも言い方次第で全て正しくなっていきます。物事には犯罪やいじめのように、間違っていることはあっても、絶対に正しいということはありません。人の数だけ正しいことがあるから当然です。

 

あなたにとって正しいことは誰かにとって正しくなくても。。物事はいいか悪いかではありません。

 

昔の人は感性が豊かで、茶色だけでも何十種類、ねずみ色でも何十種類と日常的に分けていたそうです。

 

なんだってグレーゾーンでいいと思います。それが正しいと思うなら、起こった物事に対して、思い込まずに動けばきっと、「常識」に深みが出る、そしてもっとしなやかに生きていけると思います。