結局全部思い出ですよね


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夏って二日酔いになりがち。

 

こないだ、お祭りのお囃子に惹かれて歩いてみたら金魚すくいがやってたので、いい大人2人でチャレンジしてみました。

 

なかなかすくえない私に対して彼は次々すくう。ポイの上で金魚が暴れても、お椀に誘い込んでは笑顔。私は早々に破れ、でもスマホで写真をとって笑顔。

 

なかなかに曇った暑い夏のデート。その後涼みに入ったビルで金魚すくいのコツを楽しく話しながらエスカレーターを上っているとグルメ階に。

 

すると目の前には都内に何店舗かある少し高級なお店が。

それを見てはっとしました。そこ、彼が前忘れられなかった人と行った店だったから。

 

付き合う前にそれをSNSで見てしまい知っていたから、私は何も言えず言わず。

 

彼は、この店ってこのビルにも入ってるんだねと一言だけ。私がそれをどんな思いで聞き流してるかを永遠に知らない彼が、かわいかった。

 

20年30年40年

その位生きれば、様々な思い出があるのは当然。彼がそんな一部を思い出してどう処理したかは知りません。

 

懐かしんだかもしれない。また会いたくなったかもしれない。憎くなったかもしれない。一瞬私といることを忘れたかもしれない。

 

それでも、同様に忘れられなかった人にもらった腕時計を未だにつけてる私だって何も言えない。物に罪はないって便利な言い訳。会えない人を想う気持ちが分かると切ない。

 

生きていく上で思い出を積み重ねていくのは、その時幸せでもいつか辛くなるもの。けどその時感じた思いは心の底から出た本人だけの本物の感情で、第三者が踏み込めるものじゃない、

 

私にも忘れられない人はいたけど、もうその時に戻りたいとは思わない。誰にも共有したくない、その時の相手にすら分かってほしくない、自分だけの気持ち。持ってた気分。気持ち。

©自分。

 

海を見に行ったとして、その海を見るお互いにお互いの海がある。

一方は初めて見る海に新鮮な喜びを感じていたとしても、もう一方はかつて来た海にもう一度別の人と来られた、時の流れの方に喜びを感じてるかもしれない。

 

それは自分以外の誰にもわからない気持ちで、邪魔できないもの。

 

だから相手に自分の感情を押し付けるのは、つまらないことだ。

 

私は海に関して喜んでいた前者ですが、すごく幸せな思い出を持った海でも、戻りたいとは思わない。海も店もその時その一瞬だけ私のものだった。その事実で十分。

 

隣に誰がいようと関係なく、感じた気持ちや抱いた感情は「©私」であり誰にも渡さないって思ってしまう。共有できるものではないから、描写したいとは思っても戻りたいとは思わない。しかもこれからも「今回」を超えるほどの思い出を作り出したい。その時隣に誰がいても構わない。

 

それはきっと相手もいつかそうだったかもしれないし、そうなるかもしれない。

だから誰と来た海なんだろう?とか、この店で昔何を話したんだろう?とか、あくまで私主観の気持ちなんて所詮、本人のほんものの気持ちには及ばない。

 

お互いがそうであるように、人間生きていればしわと共に思い出や記憶も刻まれているものです。

 

そんな証である今を愛せるのであればそれは幸せで、成長でもあるのかもしれない。

 

だから私は彼とどんな綺麗なものを見ても、辛い思いをしても、相手のこころに入りこめるとは思わない。ちょっとならお邪魔して支えにはなれるかもしれないけど。

あくまで全ては自分目線の、自分のための思い出としてストックするだけ。

 

いつか人生の節目、結婚や出産や死、その瞬間に振り返って、ああ幸せだったと言えれば幸せです。

 

だけど相手が目の前の私を忘れて思い出に浸っていたら少し切なくて、その瞬間だけ現実の女として風景に入り込むことで浸る邪魔をするのも、切ない思い出として私の一部になり、満足してしまうんですよね。

 

何かがふっきれる。でも、

どうも、

ビールはサッポロ黒ラベル派の山本です。

 

バイトも新しくなり、

恋人と自分から距離を置くようになったり、

協同で論文を書かせていただくお仕事をもらったり、

博物館の収蔵庫で資料整理をしたり、

ヘコんだ時はおいしいご飯を食べに行ったり、

好きなカフェに行ってゆっくりした時間を過ごしたり、

 

そんな毎日な山本です。

 

山本は割と諦めが悪い性格で、悪い言い方をすると、けっこう執着がひどいです。

 

だから前のバイトも

なかなかやめられなかったり、

恋人と距離を置くことに抵抗したり、

 

自分が好きだと思っているものをなかなか手放せなかったんです。

 

だけど、一つ手放して外に出てみると、驚くことに引く手は数多で、すぐに次のバイトも見つかって、さらにゼミの先生から学芸員さんを紹介してもらって、論文を書くことに。

 

今自分がいる場所は、どこも山本を必要としてくれていて、どこも山本のことを評価してくれています。

 

「君はよくできる。」

「こんなに早く教育ステップを踏んだことはないよ。」

「山本さんのやり方はみんなを助けるね。」

「本当にありがたいよ。」

「君は仕事が早い。」

「よく気がつく。」

 

こんなにたくさんの人から、本当にいい言葉ばかりをかけていただくのが、実は初めてです。

 

私をよく知っている友達からではなく、

私をよく知らない方々からの評価。

 

ただただ、事実として自分が行った事への評価が現在とても新鮮で、自分で自分を肯定するきっかけになっています。

 

だからこその、何かにしがみつかなくても自分を保てるようになってきたと思っています。

 

 

「自分で自分を褒めることができる人間は強い」と、どこかで聞いたか読んだかしたことがあります。

今の自分は、自分で自分をものすごく褒めることができています。

 

「今日もよく頑張った」

「今日もよく気がついた」

「今日もよく働いた」

 

なんて、声に出してみたり、日記に書いてみたり。

意外とこれだけで、自分ってよくやってるなあと思えます。(オススメ)

 

ああ、こうやって人は強くなっていくのかと、自分で実感しています。笑

 

 

そう。だけどやっぱり、

突如として寂しくなることもあるわけです。

 

お客さんに怒鳴られて、ちょっとびっくりした日なんかは、誰か話聞いてくれないかなって思う。

 

取るに足らない話をできる相手。

 

ってのは、実は人が強くなる要素の最後の1ピースなのかもしれませんね。

 

山本

 

 

山本の日常から一言。

どうも、犬より猫派、山本です。

犬も好きですが。

 

最近時給の高いバイトに変わったのですが、すると、バイトに追われる生活から一変、時間に余裕ができました。


実は今まで、木曜日の夕方から夜しか空いてなかった山本ですが、今は1週間に3日ほど、フリーな時間があります。
なにが辛かったって、今まで友人と遊ぶ時間がほどんどなかったことでした。

 

 

バイトを辞めて、時間ができたために久々遊ぶことができた友人から一言。

 

 

「行く行く詐欺の親玉」
「めんどくさいから会ってもらえないと思ってた」

 

二言でしたね。

じゃなくて。


友達を大切に!って思ってたのに全くできてませんでした。


何を大切にするか、選択を迫られる日々でしたが、その選択すらする余裕がない日々は、非常に危険で、人間としての自分を失っていた気がしました。

 

時間に追われること、差し迫って貧乏であること。なんにせよ余裕がない人間は、なにに関しても考える余裕が持てずに、目の前のことだけを見て判断してしまいがちです。


今がしんどい人は、しんどいことが何なのかをまずは知ることから。
そして取り除く。

 

今持っているものが全てと思っていた私から、一言。

 

執着すること自体は悪いことではありません。
しかし、執着する対象として、いいものとわるいものがあります。
それを判断するための時間を、1日30分、お風呂に入りながらでもいいから取ることをおすすめします。

 

考えることをやめたときが、人間としての尊厳を失うときだと言っても過言ではありません。

 

「今、しんどいな」と、一瞬でも思うなら、考える時間を持つことをおすすめします。

 

 

三言言いました。

 

 

一言で済まない性格ですが、これからもよろしくお願いします。

 

芸大生、25歳の山本でした。