久々に会社を休んだ

 

よく

 

マイホームのためとか

家族のためとか

アイツを見返したいとか

 

仕事の理由になるものって、いろいろあるじゃないですか。

 

まあ人それぞれだと思うんですけど

いろいろ話聞いてたら

結局目的そこ?ってなって

 

こう、うきうきわくわくみたいな感じがない時、もったいないなって思います。。。

 

 

たしかに仕事は、本気になるととてもしんどい。

タスクは終わりなく積み重なっていくし

解放されたと思ったら追い詰められてたりするし

 

20代は特に、まさに、work or die って感じ。

 

 

説得力ないと言われて泣いたりもしますけど、

 

何かゲットした!と思うのが楽しかったり、

感謝された!がやりがいになったりもします。

 

 

お客さんと、将来の事業について語る時のワクワク感、そこにどんな材料があればいいのか。それを考えるときの高揚感!っていえるほどまだレベルは高くないですけど。

 

そうやって仕事を通して

社会と関わり

たとえばオリンピックを境目に変わる日本を傍目から、いろんな企業と共に見てみたい、とか。

 

そんなアカデミカルなことじゃなくても

 

営業成績去年よりUPしたとか(重要)

 

お客さんが最高とか

 

そんなわくわくを理由にはたらいてもいいんじゃないかって。

 

もちろんお金は大切です。

残業代なんて全額出る保証なんてないわけですし

 

人が思い通りに動いたり

自分が理想とまごうことなく仕事をこなしたりすることなんて、まずあり得ないわけです。

 

だからまあ、

行動もしてないのに理想がふくらんでる人、いわばパワーを溜めてる人。を見ると、

 

勝手に頑張ってくれよ!って感じ。

つまり、フィールドちゃうかもやけど、お互い頑張ろーぜ!どこでどうつまづこうと、お互い頑張って乗り越えような!知らんし!って感じ。

 

頑張るのは自分自身ですね

 

思えば周りの友達はこれが暗黙の了解となってて、もはや干渉すらしない。

 

何かよくわからんけど頑張って!笑

的なそれが意外とありがたかったりするのだ。

 

もういい大人ですし。

 

 

とりあえず

肩書き、とか見返すぜ、とかお金だぜ、とか

なんか肩凝る。

心が貧しいのはだめ。

 

インフルのおかげで心を休めている分際でこんなことを言っている。

 

来週からは、ドギツイ インフル明けの洗礼が

わたしを待っているのだろうか。。

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全部夢だった

朝目覚めたとき、なぜだか泣いていた。

何か夢でも見ていたのか、それはどんな夢だったんだろうか。

 

寝ぼけ眼のまま、布団の上で寝返りをうったとき、何かを思い出しそうになった。

でも、それが何なのかは全くわからない。

 

空腹を感じたので、起き上がることにした。起き上がった瞬間、なぜだか言葉が出てきた。

 

「何が食べたいかな。」

 

誰かに向けたわけでもなく、飛び出す言葉。

 

朝ごはんを作ろうかとも思ったけど、窓の外へ目をやると、とてもいい天気だったので外へ出たくなった。

 

「今日は鴨川でモーニングしようか」

 

誰宛でもない言葉がまた発される。

 

財布だけ持って、上着を羽織って外へ出る。肌寒い季節になったものだ。

温かいコーヒーも飲みたくなる。

 

あんまり入ったことがなかったけど、ずっと行ってみたいと思っていた近所のパン屋さんへ行って、パンを見ていた。

お盆を手にとって、あれもこれもと選んでいたら、パンの山ができあがってしまった。

 

「分ける相手もいないのにね」

 

思わず呟いてしまった。

 

「パンは冷凍して保存ができるので、よかったら凍らしてあげてください。」

 

と、後ろから声がした。

店主さんらしき人の声。

 

「ありがとう。そうします。変なことを言ってしまって申し訳ない。」

 

「お気になさらず。もうお会計されますか?ちなみにコーヒーのテイクアウトもございます。」

 

「ここはコーヒーも出してるんですか?それは嬉しい話…そろそろお盆も限界ですし、お会計お願いします。」

 

 「どうぞこちらへ。」

 

山積みになっていたパンたちが、1つ1つナイロン袋や紙袋に仕分けられて行く。

そして最後には1つの袋にまとまってきれいに収まった。

 

「コーヒーはどうされますか?」

 

「あ、じゃあホット1つ」

 

お金を支払って、渡されたレシートを何の気なしに眺めると、コーヒーが書かれていなかった。

 

「あの…コーヒーだけお会計出来てないみたいです。いくらですか?」

 

「パンをたくさん買っていただいたので、サービスです。気にしないでください。」

 

「え…いいんですか!?ありがとうございます。ラッキーだなあ。」

 

「今日一日がいい日になるともっといいですね。どうぞ。」

 

「ありがとうございます。」

 

差し出されたコーヒーを持つと、ほんのり温かかった。なぜだかホッとした。

 

 

 

つづく。

 

晴れたら公園へ

 

 

 


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ピクニックが好き。

 

少し暑いくらいの晴れた日に

友達と駅前で待ち合わせをして

コンビニやデパートなんかで

それぞれ欲しいものを仕入れ

ビニールいっぱいに抱えて公園に向かう

この道のりがまた楽しい。

 

「日焼け止めを買わなきゃ」

 

「見渡す限り美容院ばっかり」

 

「今ビール買ったらぬるくなっちゃう」

 

なんでもない話ほど楽しい。

 

車が行き交う大通りの、日陰を選びながらとことこ歩いて公園に着き、適当な木陰に薄っぺらいビニールシートをひいて寝転ぶ。

こんな幸せがあるのか!

 

目の前には青空。

シートごしの芝生がふわふわ気持ちいい。

見渡せば学生カップルや外人、小さな子供やその親達。

 

みんな思い思いの晴れの日を過ごして。

 

ふと目線を遠くにやると、広い公園の向こう側には高層ビルがにょきにょき。ああ、ここは都会だ、東京に居たんだったと再確認しつつ一瞬のバカンスを味わい尽くす。

 

コンビニおにぎりも部屋で食べるより外の風の中で食べる方が美味しく感じる。

 

ぬるくなりかけたビールの炭酸がやけに染みる、これも不思議。

誰かが隣にいるとそんなことを数倍幸せに感じる。

 

時々シートに迷い混んでくる虫もご愛嬌。

私たちの陣地に入らず、自分の居場所に帰りなさい、って葉っぱかぶせる。またはデコピンで遠くにぽーんと飛ばしてしまってちょっとごめんなさい。

 

回復期にある患者が最初に描くのは自然の絵が多い、っていうのは完全にうろ覚え。だけどずいぶん昔、医者がそんなことを言ってたような。

 

葉や木が揺れるのは、誰の手も加えられてない自然な風景。無意識に癒される。

 

たとえば少し切ない話をしても、ピクニックでは目に見えるものに一切の重みがないから心理的に楽に感じる。

 

同じように考えると、夏も好きだ。全部「暑い」が持っていってくれる。

 

そのうち時間が過ぎて、公園に蛍の光が流れはじめ、人の流れが出口へ向かいはじめる。

 

もう少し居たいな、くらいが丁度いい。

 

たっぷりの風や少しのビール、楽しい会話で体の中がいっぱいふくれて「息抜きした」って都会の真ん中で楽しむ休みの日が大好き。

 

感傷的になるのは暇だからだ。

なので、そんな「暇」を充電に費やすため、私はピクニックへ。

 

 

次はいつかな、ビール抱えて。全てサボって。