友達の定義(誕生日の度に思うこと)

先日誕生日を迎えた山本です。

一足お先に26歳になりました。

 

 

今から、少しかわいそうな話をしますが、気にしないでください。

 

実は誕生日当日ってろくな思い出がなくて、

 

昨年は元恋人から3時間の説教

一昨年はもはや覚えていないレベルで何もなく

3年前は元々恋人になぜか爆泣きされ

4年前、5年前も記憶があまりなく、

少し遡って15、6歳の時は母と大ゲンカ、

ってな感じで、

今年はゼミ生がサボりにサボって

今になってやっと提出してきた

期限切れの報告書の山を修正する(new!)でした。

しかもPCぶっ壊れて何もできない時間とかあったしまじで

なんか悪いことしたかしらと言いたい…

 

はい。そうです。

誕生日にいい思い出がないって話です。

 

ただ言いたいことはそれじゃなくて。

 

毎年誕生日に思うんです。

友人が、4/17の0時にLINEやメールをくれます。

これってすごい幸せなことだなと。

でもね、贅沢かもしれないんですが、

本当に昔からいわゆるお誕生日サプライズ的な、

そういうことをしてもらったことがないのです。

高校の時とか、ボードに色々写真貼ったりして

みんなからメッセージとか書いてもらって

教室行ったらなんかどーーーーん!みたいな。

 

ないですね。一度もない。

や、別に羨ましくなんかはないですよ。

まあそれなりに経験してみたかったなあって。

まあ羨ましかったですけど。

 

じゃあそういったことをしてくれないのは

友達じゃないのか?って、それも違うなあとか。

 

誕生日を忘れられていたり、

誕生日なのに何もしてもらえないもしくは

なにか萎え案件をいただいたり、

誕生日ってだけで異常に辛くなるのは

なんでだろうって、

 

たぶん、誕生日は特別な日で、大切な人のことなら

大切な日になるはずなのに、大切にされないってことが、

心が痛い原因なんでしょうね。

 

自分でも何が言いたいか少し曖昧ですが、

 

誕生日の度に、友達ってなんなんやろうなあと

私ってみんなにとってなんなんやろうなと

考えてしまうのでした。

 

誕生日ぐらいはわがままでいたいなあ。

 

山本

 

やりたいことのおはなし。

どうも、お金がないときはコーラでしのぐ山本です。

 

今回はリレー記事にしてやろうと企んでいます。

 

お題は「やりたいこと」

 

なんでもありです。

とにかく「やりたいこと」のお話を、残りの2人からも聞きたいから、まずは自分から。

 

私はやりたいことがたくさんありますが、1つに絞るなら

 

世界中の人が笑顔になることをしたいと思っています。

 

なんだそれ、と思いますよね。

大丈夫です。自分でも思います。

 

でも、私の願いの終着点、達成したいものごとは世界中の人がみんな笑顔になることなんです。

 

いやいや無理だろ、と思ったそこのあなたへ。

 

私もちょっと思ってます。

 

だって世界中に人は多すぎるし、私の寿命じゃ足りない気がするから。

 

問題点はそこじゃない?

うーん。

無理ですかね?

なんで無理だって思いますか?

これを読んでるあなたは、私のことを知っていてそう思っていますか?

知っていたとしても、私の未来を知っていますか?

 

さて、そろそろ世界中の人からしばかれそうなので煽りはやめましょう。

 

だけど、私は世界中の人が笑顔になるように頑張りたいと思います。

達成できないとしても、私の想いや願いがどこかで誰かに伝わって、同じようにこんなバカみたいなことを言う人が現れることを祈っています。

 

じゃあ具体的になにするの?って話です。

 

まず対象は私の身近な人たちを笑顔にすることからだと思います。

アルバイト先でなら、スタッフやお客さんから。

もちろん家族や大学の友達も。

 

対象に対してなにをするの?ってとこ、ここが難しいですよね。

 

私ってなにが得意なんかな〜って思ったら、特にこれといった特技がなくて。

とりあえず掃除洗濯は得意ですかね。

あとはペン回し。

ドッチボールとかね。

 

小学生かってね。

 

本当に特技がない私なんですが、

実を言うとめっちゃ人の能力を嗅ぎ分けるのが好きです。

得意というか好きですほんまに。

そしてその得意を伸ばすように人を配置するのが大大大好きです。

現場が円滑に回ることが至福のときだったりします。

そんな人、そんなこと、誰でも訓練すればできるでしょって思いますよね。

でもまあ…そうだと思います。

それでもただ言えるのは、私はそういうことが何よりも好きということです。

おいしいご飯を食べるのと同等、もしくはそれ以上に大好きです。

なので正直なところ、これは自分の唯一の特技かなとも思っています。

 

ならば、

 

ならばなにをするか?

やりたいことはなんだ?

 

その問いに答えるなら、

私は人と人とを繋いだり、人が楽しく働ける環境を作ったり、ということをやりたいです。

ちなみに、ネットワークビジネスは否定はしませんが嫌いです!

私は自分の足で稼ぐことが好きなので、動かずして入ってくるお金は大嫌いです。

 

さて、メンバー残りお二人のやりたいことはなんですか?

気になる木です!

リレー記事よろしくーー!

 

今回もお付き合いありがとうございました!

 

山本でした。

自分本位という話から

どうも、革靴大好き山本です。

 

大親友の記事を読んで、「自分本位」という話から私も少し書いてみようかなと。

 

昨日は私が以前おつきあいしていた方の誕生日でした。

1年前の一昨日から東京に旅行へ行き、1年前の昨日はホテルのスタッフさんにも協力してもらって誕生日を祝い、1年前の今日は夜行バスで京都に戻って、寝ぼけ眼のまま家に帰り、2人で手を握りあってまた眠りにつきました。

 

あのときは、この時間が一生続くと思っていたけれど、その1ヶ月後に私は当時のバイトを辞め、恋人からは元から存在しなかったかのように無視されるようになりました。

 

私は恋人との将来を見ていました。

クリスマスはどこに行って、何をあげて、次の誕生日はあれをしようこれをしよう、記念日には何をしようかな、なんて。

卒業したら頑張って稼いで、楽をさせれたらいいなとか、次引っ越すときは一緒に住もうねって話をしていたから、どんな家がいいかなとか、何十年後かにはお店を出して、好きなように料理ができる場所を作ってあげたいなとか。

 

でも、全て無くなりました。

 

相手にとっては、毎日大学へ行って遊んで暮らしているような私の存在は鬱陶しく、疲れて帰って構われてもしんどく、喋り出せば話は長くて退屈で、今は忙しすぎて未来なんか考える暇はないなんていう存在だったようです。

 

そもそも、バイトのシフトを考える上で都合が良かったんでしょう。

バイトを辞めた途端何も話してくれなくなり、無視、無視、無視の日々でした。

 

自分がかわいそう、という話をしたいわけではないけれど、ただ事実を並べて書いてみたら、すごく悲しくなりました、今まさに。

 

私はいつだって相手のことを考えているつもりでした。

いつだって「つもり」な自分が悲しくなりました。

 

こうしてあげたら喜ぶんじゃないか、楽なんじゃないか、そんなこと毎日考えていたけれど、肝心な、「相手の言葉を聞く」ということを忘れていました。

話してくれなかった、とも言えますが。

 

相手の声に耳を傾けることがなくなれば、それは全て自分本位な考えになってしまうんだろうなと。

 

たとえ相手が話すのを疎んでも、きちんと会話をしようとする姿勢だけは忘れちゃいけないことなんだろうと、そこだけは自分本位でいなければならないと、けっこう強く思ったりした山本でした。

 

結局人は、自分本位じゃなきゃ生きられないのかもしれませんね。