山本の日常から一言。

どうも、犬より猫派、山本です。

犬も好きですが。

 

最近時給の高いバイトに変わったのですが、すると、バイトに追われる生活から一変、時間に余裕ができました。


実は今まで、木曜日の夕方から夜しか空いてなかった山本ですが、今は1週間に3日ほど、フリーな時間があります。
なにが辛かったって、今まで友人と遊ぶ時間がほどんどなかったことでした。

 

 

バイトを辞めて、時間ができたために久々遊ぶことができた友人から一言。

 

 

「行く行く詐欺の親玉」
「めんどくさいから会ってもらえないと思ってた」

 

二言でしたね。

じゃなくて。


友達を大切に!って思ってたのに全くできてませんでした。


何を大切にするか、選択を迫られる日々でしたが、その選択すらする余裕がない日々は、非常に危険で、人間としての自分を失っていた気がしました。

 

時間に追われること、差し迫って貧乏であること。なんにせよ余裕がない人間は、なにに関しても考える余裕が持てずに、目の前のことだけを見て判断してしまいがちです。


今がしんどい人は、しんどいことが何なのかをまずは知ることから。
そして取り除く。

 

今持っているものが全てと思っていた私から、一言。

 

執着すること自体は悪いことではありません。
しかし、執着する対象として、いいものとわるいものがあります。
それを判断するための時間を、1日30分、お風呂に入りながらでもいいから取ることをおすすめします。

 

考えることをやめたときが、人間としての尊厳を失うときだと言っても過言ではありません。

 

「今、しんどいな」と、一瞬でも思うなら、考える時間を持つことをおすすめします。

 

 

三言言いました。

 

 

一言で済まない性格ですが、これからもよろしくお願いします。

 

芸大生、25歳の山本でした。

 

 

 

悲しいけど綺麗な時間

 

 

この間、人が目の前で痛々しく心から涙を流してるのを初めて見ました。

 

その人と10年以上毎日、本当に四六時中一緒にいた愛犬が天国にいってしまい火葬する前日。

 

「その人」は私の大切な人でしたが

 

台の上でお花に囲まれてるわんちゃんを見て何を言うでもなく泣き始めて、、

 

人はこうして泣くんだと
溢れた思いが涙なんだと
大切に想い傍に寄り添っていた支えがなくなったとき
人はこうして悼むんだと、

一瞬で空間が埋め尽くされるほどの悲しさでした。

 

 

でも痛々しくも綺麗でした。

心の底から何かを想う人は男女関係なく綺麗。

 

何かを失ったときの絶望はものすごく複雑で、他人に触れられるような代物じゃないみたい。

 

 

その人の背中をなでながら
黙って横に居たんですが

 

話すと楽になるって言ってくれたので


それなら話そう。と

 

美味しいものが食べたいなら

 

一緒にいこう。

 

そう言ったものの、

そんな気持ちの全部を伝えられる言葉なんかどこにもありませんでした。

 

 

人の気持ちや本心って、きっと
波の音とか風の柔らかさみたいに
誰かにそっくりそのまま伝えられない自然な存在。


心の声っていうのは「自然と」発生するもの。


とめどなく湧いてくるから止められないもの。

 

 


人の痛みやそこから溢れた言葉を受け止めてあげたいと思うのは自然な流れですが、

 

きっと波の音とか音楽みたいに、ただそこに生まれた事柄を目の当たりにして感じるだけで十分ですね

 


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音も光も涙も、それを目の当たりにする人間がいるから存在するんだと思う。

 

それを分かちあえる相手がいるならそれは救い。


誰かの本心に出会った時は

 

自分といたからよかったと思ってほしい。

 

 

なんの解決策を提示するでもなく

ただどうでもいいことで笑えれば十分だと思います。

 

 

 

 

 

じこしょうかい

どうも。いぬ3分の1、山本と申します。

 

突然ですが、みなさんはどんな人でありたいですか?

 

きっと十人十色の答えが返ってくるこの質問。今まで生きてきた25年間の大半の中で、私が1番考えてきたことはこれでした。

 

ずっと考えてきたことであるがゆえ、自分の中にはたくさん答えのストックがありますが、その中でもずっと変化しなかった1つの答えがあります。

 

それは、

 

「誰かの人生のスパイスでありたい」

 

ということ。

 

私の人生は、必ず私が主役です。
いつだって、どこでだって、そうです。

 

でも、私という人間がいることで、誰かの人生に少しの刺激を与えることができたなら。
あるいは、誰かの人生の中のうまみを引き出すことができたなら。

 

脇役のような人生だと言われることもしばしばですが、私がいるのといないのとで、同じ事象に雲泥の差が生まれたのなら、それはもう脇役とは言えないと思っています。

 

ステーキ肉の旨味を最大限引き出す、皿の端っこに添えられた最上の岩塩のような、そんな人でありたい山本千都、25歳、芸大生です。

 

以上。自己紹介でした。